メモリアルデーinハワイ
2006年 06月 02日
なんのメモリアルかというと、アメリカのために戦争で亡くなった方の追悼だそうです。
ヨーロッパでは11月1日が万聖節といって日本のお彼岸みたいな日で、お墓参りをします。それから第一次&第二次大戦の終戦記念日というのがあります。(日本と日が違いますが)
アメリカのメモリアルデーは南北戦争の終戦から始まったそうです。
さてその日に家の前の公園&海で灯篭流しがあると言うので、行ってきました。
海正面に作られたステージ
私たちはステージの後ろの貴賓席の後ろの身障者席のその後ろに陣取りました。
ステージは直接見えませんが、大画面のすぐそばです。
そこには多分早朝から、○×旅行だの2社が陣取って、一番いいところにテープを張りめぐらしていました。くやしいので、テープと道路のすきまの草の上(おしり一つ分くらい)に座りました。旅行社のツアーの皆さんの前です。うふふー。
団体が着きだすと、何だか様子が違ってきました。どうやらこの灯篭流しは真如苑という宗教団体が主催で、後ろの人たちは日本から来た信者達らしいのです。周りを真如苑の信者に囲まれて、ちょっと居心地が悪かったですが、整然としていて、秩序正しく、ほっとしました。
でも待っている間、西日の太陽が暑くて、焼け死ぬかと思いました・・・。
そうこうする内に、貴賓席に市長やら日本総領事やら招待客が入場し、太鼓から始まりほら貝やら音楽やらフラダンスなど催しが・・・。
シマブクロさんはウクレレの第一人者で、とても有名な方です。私は彼の音楽ははじめて聴きました。それはそれは素敵でした。
ウクレレの物悲しい音色が追悼にはぴったり!神妙な気持ちになります。
普段ハワイアン音楽をウクレレで聴くときはあまり物悲しく聞こえないのですが、曲に合わせて全く違って聞こえるのはさすがです。
いよいよお坊さん入場!周りから「○×さまぁぁぁー」というきいろい声が飛びます。うーん、違う世界だぁ。
この白人のお坊さん達の最後に赤い袈裟を着た小さい女性がいたのですが、この方が実は教祖様だったのです。そうは知らない私は、先頭のでっかい白人坊さんばかり写真を撮りました。
その後、大きい灯篭が入場し、坊さん達に続き教祖様がお祈りを致します。この大灯篭は灯篭の代表だそうです。お経が始まり「かんべんしてー」と思ったのですが、それがだんだんオーケストラに合わせだして、合唱が加わり、最後には太鼓も加わり、日没とともにクライマックスになり、灯篭を流すのです。曲はミサ曲みたいので、西洋風。でも時々お経じみてたりして・・・不思議。
大画面に灯篭が海に流されるところが映り、続いて一般の小さい灯篭が流され幻想的な世界です。(曲はクライマックスだし)思わず涙ぐんじゃう私でした。(父の事思い出して・・・)
キリスト教会では「同じリズムの繰り返し」が禁止されているそうです。
同じリズムが続くと、人間興奮するんだそうです。そう言われてみるとアフリカやアジアなどの原住民など太鼓たたきますよね。(もちろん日本の祭りも)バリのケチャックダンスなんかも最後はトランス状態だし。昔は戦争のときも太鼓たたきましたよね。(これは遠くに命令が届くようにという合図の役目もあったでしょうが、絶対気分を高揚させる効果もあったと思います)
今回はミサ曲のクライマックスに太鼓が入ってきちゃうんだから、催眠術効果バッチリ。思わず涙なんかしている私は暗示にかかりやすいのでしょうか?
ともかく、思いがけずコンサートが無料で聴けて満足の私でした。みなさん、オーケストラも合唱も太鼓もすごくじょうずでした。
ただお尻が痛かったのと、西日灼熱地獄はつらかった・・・。
来年は朝から海岸にテント張って、一日ごろごろしながら日没待って、バーベキューでもしながら音楽聴いて、灯篭流し というのにしようっと!!(そうしている人がいっぱいいた)
どうせいい場所に陣取っても、貴賓席でない限りステージは見れないし、大画面だったらどこからも見れるから・・・。
灯篭が沖に流されていきます。正面のビルが我が家です。