日本文化センター2
2006年 12月 22日
センター内に日本人移民の展示があるのですが、訪れる人にその説明をするボランティアの方達が、移民や日系人の知識を深めるため勉強会を開いているのです。
お話は毎回とても面白く、雑談さえもビデオに撮りたいくらいです。
まず「しげさん」という生き字引のような80歳代の男性。かれは色々な知識が頭の中に全部入っているので、メモもありません。急にある人の話になっても「彼は何年にどこで生まれて、何年にどこの学校を出て、何年にどこの会社に入って、何年に捕虜になり・・・・」って感じで、正確な年まで覚えているのです。すごすぎ!!
第二次大戦の時には、日系2世としてMIS(陸軍特別情報部隊)に入り、ペンタゴンで翻訳をしていたとのこと。その時の話もとても面白いです。
昨日はRさんが、NHK衛星で放送されたMISの生き残りの方たちのビデオを持ってきてくださったので、みんなで見ました。MISの日系人の皆さん、秘密保持のため今まで話せなかったのですが、ある人が高齢のためどんどん少なくなる仲間を訪ねて、そのときの事を記録に残そうとしたドキュメンタリーです。
祖国日本を攻撃しなくてはならなかった彼らの苦しみ。日本に大きな爆弾が落とされて、本土上陸が無くなったって聞いて喜んだすぐ後、それが母や兄弟が住む広島だったと聞いた衝撃。調査のため原爆投下1ヶ月後に広島を訪れた人は、「行きは記者たちが”特ダネだ!”って大騒ぎして写真を撮りまくっていたのですが、病院に着くや黙ってしまって、それから帰る間もずっと誰も口を利きませんでした。私はその後、朝鮮戦争やベトナム戦争にも行きましたが、あんなむごたらしいのはみたことはありません」と、60年もたっているのに言葉に詰まって、泣きながら話されていました。
私達も涙なくして見れませんでした。
参加者で他に、GHQに勤めていた人や当時に日銀にいた人がいらっしゃって思い出話がまた面白い!お二人ともアメリカ人と結婚なさってこちらに住んでいます。
戦後日銀の地下金庫には宝石貴金属がいっぱいあったそうです。戦時中日本全国から没収されたものです。毎日鑑定士が来て鑑定していたとのこと。
「で、それはどうなったの??」
「アメリカが没収したのよ!」
「えー!取られちゃったのー?アメリカはそれをどうしたのかしら??」
「でも少しくすねた人が軍法会議にかかっていたから、ちゃんと管理されていたんじゃない?」
とのことですが、うーん持っていかれたのかぁ。
二人はマッカーサーもじかに何度も見ていたり、ヘレンケラーと握手したとか、ミーハーな私としては大変面白い話です。
でも皆さん高齢なので(特にしげさん)話をビデオに撮りたいです。しげさんのガイドは特別面白いらしいのです。今度ダウンタウンウォーキングツアーに連れて行ってもらうのです。いつまでもお元気で私達にその知識を引き継いで欲しいです。